序章 なぜこの曲は「愛」と呼ばれるのか
「カノン・ニ長調」という、きわめて事務的な題名を持つこの曲が、 なぜ世界中で「愛のカノン」と呼ばれているのか。 この問いは、音楽史の問題であると同時に、人間心理の問題でもある。 カノン ニ長調には、 情熱的な旋律も、悲嘆を訴える和声も存在しない。 あるのは、低音が同じ場所を歩き続けるという事実だけだ。 それでも人は、この曲を聴くとき、 「裏切られないもの」 「去っていかない関係」 「説明しなくても続いていく絆」 を思い浮かべる。 愛とは本来、燃え、揺らぎ、壊れるものだ。 にもかかわらず、なぜ人はこの感情の温度を持たない音楽に、 最も人間的な感情の名を与えたのだろうか。
第Ⅰ部 パッヘルベルという人間 ―― 愛を語らなかった作曲家
ヨハン・パッヘルベルは、 音楽史において「重要だが地味な存在」として扱われてきた。 バッハの父に教え、バッハ以前の和声を整え、 それでも自らは天才譜系の中心には立たなかった男。 彼の人生には、 ・破滅的恋愛 ・芸術至上主義 ・スキャンダル といった、後世が好む物語性がほとんど存在しない。 残されているのは、 教会音楽、鍵盤練習曲、そしてこのカノン。 つまり、生活に奉仕する音楽だけだ。 ここで重要なのは、 パッヘルベルが「愛を書かなかった」のではなく、 愛を特別扱いしなかったという点である。 彼の音楽において、 感情は爆発しない。 だが、秩序は崩れない。 これは偶然ではない。 17世紀ドイツ市民社会において、 愛とは語るものではなく、続けるものだったからだ。
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